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 山口邦明(バリトン)


静岡県沼津市出身。静岡県立沼津東高等学校卒業。武蔵野音楽大学声楽科卒業。

‘95年よりイタリア(ミラノ)に3年間の留学。ミラノ音楽院専修課程修了。
イタリア留学中はミラノを中心に数多くのコンサートに出演。さらに‘98年にはミラノにおいて指揮者D・クロベッティのピアノ伴奏で初のソロリサイタルを開く。

帰国後、オペラにおいては「マクベス」「リゴレット」タイトルロール、「仮面舞踏会」レナート、「椿姫」ジェルモン、「イル・トロヴァトーレ」ルーナ、「アイーダ」アモナズロ、「トスカ」スカルピア、「ラ・ボエーム」マルチェッロ、「ジャンニスキッキ」タイトルロール、「カバレリア・ルスティカーナ」アルフィオ、「道化師」トニオ・シルヴィオ、「アドリアーナ・ルクブルール」ミショネ、「アンドレア・シェニエ」ジェラール、「ルチア」エンリーコ、「愛の妙薬」ベルコーレ・ドゥルカマーラ、「フィガロの結婚」伯爵、「カルメン」エスカミーリォ、など数多くの主役バリトンを演じる。
所属する二期会の公演にも主要ソリストとして参加しており、最近では2017年2月の「トスカ」公演はアンジェロッティ役で出演し、その模様はNHKで放映された。

リサイタルでは‘98年に「帰国リサイタル」を開き、近年は王子ホール(銀座)をメイン会場に開催し全身全霊の歌で聴く人を常に魅了している。尚、「山口邦明カンツォーネ&ラテン&タンゴをうたう」と題したリサイタルの模様はCDとしてリリースされ好評を博している。
コンサートでは「メサイア」(ヘンデル)、「レクイエム」(モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ)、「荘厳ミサ」(ベートーヴェン)、「小荘厳ミサ」(ロッシーニ)、「カルミナ・ブラーナ」(オルフ)のソリストとしてオーケストラと共演する。

指導者としては、大学卒業と同時に合唱指導を始め東京都内、千葉、埼玉に於いて計12団体の指導者を務めた。声楽指導者としても約40年のキャリアがある。自身が主宰する「オッティモ」の他、NHKカルチャー青山&千葉、市川市幸公民館において「ベル・カントでイタリアを歌おう!」の講師を務めている。
故疋田生次郎、田口興輔、C・ヴァンニーニ、R・コヴィエッロ、A・ソレジーナ、G・プランデッリに師事。
二期会会員。


山口邦明
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Story

山口邦明 ストーリー

 1959年12月沼津市に生まれる

 幼少期より音楽は大好きだったが「男が音楽なんて!」という時代的な要因からピアノなど学ぶ機会がなかった。

 小学生の頃はもっぱらグループサウンズに憧れレコードを買い漁った。

 中学生になるとフォークソングブームになり、友達とデュオを組みギターを弾きながらハモったりして音楽に親しむ。
中学3年の時、その友達がビートルズの「レットイットビー」の前奏をピアノで弾いているのを聞き軽い嫉妬を覚え、親に「ピアノが欲しい」とせがむ。
「高校受験で第一志望合格」が条件とされ、合格が決まると我が家にピカピカのピアノがやって来た!
レコード店のクラッシック売り場に初めて足を踏み入れショパン名曲集のLPを買う。そのショパンのピアノ音楽の素晴らしさは今まで聞いていたフォークソングや、ポピュラーソングで感じた事がない、正に身体に電流が走るような衝撃を受ける。早速ピアノを指導者の元で正式に習う事を決め、更に何浪しても良いから音楽大学ピアノ科に行こう!と決心する。

 それからの高校生活は勉強そっちのけでクラッシック音楽一筋の日々となり、ピアノ曲はもちろん、交響曲、室内楽、宗教曲など様々なジャンルの音楽を聴き&勉強しまくった。
高校3年の時、初めて武蔵野音楽大学の夏期講習会をピアノで受け、その講習会で紹介された声楽の疋田生次郎先生から「君はピアノをやめて歌で行きなさい、受かりますよ」とのお言葉を頂き二日間大いに悩み声楽科での受験に変更する。
 
 静岡県立沼津東高等学校卒業

 疋田先生のお言葉通り武蔵野音楽大学声楽科に現役合格し夢の音大生活が始まる。
人生初めての女子に囲まれるキャンパスライフとサークルの卓球部に我が青春を謳歌し四年間を楽しく過ごしてしまった…。

 武蔵野音楽大学声楽科卒業

 卒業後、友達の影響でジャズコーラスグループのマンハッタン・トランスファーに魅了され、日本のマンハッタン・トランスファーを結成しようと一念発起する。そして、ジャズヴォーカルを東郷輝久氏に師事する。
数年間ジャズの世界に身をおき、東郷先生のお蔭でジャズヴォーカルの腕も上がり、数多くのジャズのトップミュージシャンと知り合うチャンスを得たが、そんなある日、車のカーステレオから流れてくるオペラアリアの調べに、まるで「初恋の人に再会した」ような心に染み入ってくるものがあり再びクラッシックの世界に戻る。

 演奏家としての自分をあれこれ模索しながら、一方仕事では卒業後、縁あって市川市に居を構え自宅でピアノと声楽の音楽教室を始める。更には合唱指揮者として最大12団体の指導を務めた。

 1995年8月、35歳の時「我が憧れのイタリア」に行かずして人生は終われない、と思った私は留学を決意し、妻と共にミラノに向かう。
経済的な事もあり、留学期間を三年間と決め、その間は「どんな事があっても絶対日本に帰国しないぞ!」と固く誓った。
留学も三年目に入ると色々とコンサートで歌う機会を得る。本場イタリアの人たちの前でイタリア語の歌曲やオペラアリアを歌うのは本当に緊張しましたが、「ブラボー!」と言ってもらえた時はこの上ない喜びでした。
帰国も間近に迫った1998年3月指揮者&ピアニスト、そして友人であるD.クロベッティのピアノ伴奏で初リサイタルをミラノで開催する。

 ミラノ音楽院専修課程修了

 1998年5月帰国リサイタルを地元市川に於いて開催。
その後2020年現在までに14回のリサイタルを開催する。
オペラでは2000年二期会会員となり、二期会本公演を始め、江東オペラ、杉並リリカ、調布市民オペラ、新宿区民オペラ、市川オペラなど多数のオペラ団体に出演する。

 留学の時、全ての仕事を辞めてイタリアに行ったので一から仕事探しを始める。
指導では、プライベートスタジオに於いて声楽個人レッスンの「オッティモ」を主宰し毎年コンサートを開催し2020年までに22回行われている。
青山と千葉のNHKカルチャー、市川市幸公民館で「ベル・カントでイタリアを歌う!!」の講師を努めている。

今後も「心・技・体」の精神を持って舞台に臨めるよう身体と声のトレーニングに日々精進している。